2011年11月30日水曜日

音を聞き分ける


当時 家でピックアップを試作しチェックをしていたのだけれど、音の判断に繊細さを必要とする時は「朝食を抜いた午前中」に行うようにしていた。
この時間帯に空腹でいると、非常に感性が研ぎすまされ 呼気と吸気で音に対する感受性が違うのが体感できた。
空気を吸う時はハイまでしっかり聞こえ、肺から吐き出す時は高域の感度が下がる。
シビアな音の判断はこういう時に行った。
ストイックだったなぁ〜。
でも、楽しんでいた。

この先は持論。
可聴域外の音を感じる方法がある。
それは、音がダイナミックに変化している最中。
正弦波波形を一定の出力でスピーカーから出すような「静的な音」は、人間の可聴域として言われている20000Hz止まりなのだろうけれど、複雑な成分の周波数帯の音が時間と共にダイナミックに変化する場合、言葉に表せられない変化として認識できているんじゃないだろうか?
これは理屈抜きに、当時音出しチェックをしていた頃感じたこと。

たとえば、映像では顕著に表れる。
細かい点の集まりが静止画で抽象的に表せられている場合は、それが何を表現しているのか分からないけれど、それがひと度動き始めると容易に何が動いているのか判断できる。
ホワイトノイズのシロヌキサウンドもそれに近いんじゃないんだろうか。
だから、聞こえない=認識できないではない、と思う。
 

2011年11月19日土曜日

Earth, Wind & Fire

1979年3月 日本武道館
日本以外じゃステージでピアノが一回転するなんて話もあったこのツアー。
どんなナマを見せてくれるのか、と ワクワク。
始まりました、ブラック系のしっかりノリノリ、リズムセクション。
肺活量の多い音圧の高いメリハリの効いたブラス。
きましたフィリップ・ベーリーのファルセット。
でも一番のお気に入りはモーリス・ホワイトのおとっとヴァーダイン・ホワイト。
あのベース・ラインと刻むリズムの小気味よさ。
たまらんっす。
しかし、あれだけ動いてよくリズムがコケナイもんだ。ってプロなら当たり前?
 

2011年11月18日金曜日

そして究極のオリジナル:prologue

時空を隔てること30有余年。
当時、ある現象に遭遇。
きっかけは弦の両端に、みのむしクリップを挟み、その信号線をアンプに繋いでみたら、とても小さい出力なんだけど弦の振動を拾ってる!
磁石も何もない状態での現象に初めは???
どうも地磁気が発電エネルギーの源みたい。
そして、磁石を弦に近づけてみると当然 信号は大きくなる。
といっても1mVオーダー。
問題は、鉄板エコーを介して響いてくるような、エレクトリックギターの音とは程遠いキンキン、ペタンペタンという いかにもピアノ線のナマ音ですって音色。
増幅してトーンコントロールでいじりたくともこの音じゃ煮ても焼いても食えない。
音の素性が違いすぎる。てなことで、永遠にお蔵入りか・・・
 

2011年11月11日金曜日

ボストン

1979年4月 日本武道館
さすがMIT出身というべきなのか?
完璧なPAバランス。
パスポート以来のベストな音響。
ま、場所がPA卓の真後ろってこともあったんだけど。
演奏もさることながら、ミキシング・コンソールがが目の前にあるので彼らが何をやっているのか一目瞭然!といいたいけど、はっきり覚えていない。ひょっとしたらオート・フェーダー使ってたかも・・・なんつうたってMITだからネ。
でも真近に見られてイイ体験をさせてもらいました。
演奏自体はかなりレコードに近い音出しで+ライブならではの力強いアンサンブルってカンジだった。
 

2011年10月27日木曜日

アレンビックのハンドメイド・ピックアップ

アレンビックのコピーモデルを作ることになり河合楽器製作所から依頼を受けた。
ブリッジ側マイク、ネック側マイク、ノイズキャンセル用ダミーコイルの3個で1セット。
はじめは出荷台数がとても少なかったので、これを本家と同様に完全手作りで再現。
まず、オリジナルからアクリルで原型の複製を作り、これからシリコンで雌型を作成。
シリコン型は真空ポンプでしっかり気泡抜きをして作らないと、2〜3回使っただけで型内部表面に近い気泡が薄い幕を破って使えなくなる。
できた雌型の中に剥離剤をスプレーし、コイルとマグネットをアッセンブルしたものを吊り下げ底面から1.5mm浮いたところで固定。
ここに2液性のレジンを混合し充填。レジンも攪拌する時極力泡を作らないように注意。
しばしの発熱の後固化。
型から取り出した後ピックアップの表面の剥離剤を工業用エタノールで拭き取り、つや消しクリア塗装し完成。
この製作テクニックは後にKAWAIオリジナルベースギターを作るときにも転用できたのでした。
備品:ビーカー、温度計、精密天秤はかり、真空ポンプ、真空デシケーター、ビニール製の隔離囲い.
この時ばかりは部屋が理科の実験室みたいになったです。
 

2011年10月1日土曜日

真打ちジャコ!

1978年6月 郵便貯金ホール(たぶん)
ウエザーリポートの一員でありながら、まるで彼がリーダーなんじゃない? ☆ スターだった。
フレットレス ジャズ・ベースからほとばしるメロディーライン、グルーブ感。
ソロではMXRのデジタル・ディレイを多用し、時にマスターベーション・モードに陥ることも。
頭に巻いたバンダナ?が歌舞伎の病鉢巻に見えたりして・・・
躁鬱、ヤク中、アル中。
死にザマが唐突でショッキングだった。
ただただ残念、惜しい、悔しい。
永遠のアイドル。
宇宙人。

 

2011年9月27日火曜日

AriaProII SB-1000

アレンビック・ベースにインスパイアされ作ったものがこれ。
ただ、コンセプトは全く異なる。
アレンビックの回路ではピックアップの信号とダミーコイルの誘導信号を反転加算して誘導ノイズ成分を相殺。
電子回路で入力段をバッファリングするので、ハイ落ちのない素直な音色になる。
しかし、これだけだとエレクトリック・ギターとしては特徴のないつまらない音。
そこで、その信号をパラメトリック・イコライザー的な色付けを派手に施していたのが当時のアレンビック・ベースと理解。
信号経路に何段もOPアンプが入るので熱雑音?も重畳されピックアップ自体のノイズは極力抑えられてもホワイトノイズ様のノイズが乗るのは避けられない。

これらノイズを根本的に極限まで減らしてしまおうという考えで作られたのが後にBBサーキットと名付けられたSB-1000の回路。
当時はOPアンプの型番を削りプラスチックケースに入れた後エポキシ樹脂で充填し、まさにBlackBox化して出荷したのでした。BBとはBlackBoxのことです。
ピックアップのコイルはかなり巻いた。(忘却の彼方) たぶん6000T×2のハムバッキング。
この信号を増幅度0dbの差動増幅バッファに入れるんだけれど、ここでコンデンサとコイルの直列共振を利用してピークを作る。ここでは電圧の拡大という現象が起るので、実際には特定の周波数帯域では3db以上の増幅がある。
電子回路は1段のみ。回路自体で増幅はしていないので、信号に乗るノイズは極小となる。
音色の設定は営業政策上から6トーンになったけれど、私個人としては3トーンで充分だと思った。
この回路の音の特徴は、ボディと相まってとにかくレスポンスが良い。指で弾いた瞬間にボンと音が前に出る。
ピークをハイに持っていった設定ではフランジャーやフェイザー系のエフェクトを掛けた時にヌケの良い掛かり方をする。
30数年前に作ったものが未だに現行機種として販売されているのは驚きです。
私が業界を離れてから海外有名ミュージシャンが「コマーシャルベースではなく」使ってくれていたらしいのも嬉しいことでした。
 

2011年8月18日木曜日

パット・メセニー初来日

1979年3月 中野サンプラザ・ホール
『ECM Super Guitar Festival'79』
ジョー・アバークロンビー、エグベルト・ジスモン、そしてパット・メセニーが各々率いる3グループが出演。
エグベルト・ジスモンが何びとか知らず観にゆく。
ジョー・アバークロンビーはいわゆるクロスオーバー系のレコードをいくつも出していたんだけど、今回はパット・メセニーが目当て。
ステージに出てくる。
きれいな男子。
演奏が始まる・・・

 Oh!レコードクオリティぢゃん!
音響バランス良いっ。  すげぇ!!!
 

2011年7月11日月曜日

ストラトキャスター編

「音が違うんだよね」と言われても、磁石はアルニコVのインチ径に変更し、巻線をたウレタン被覆からエナメル線に替え、巻き線径だけはメートル規格とインチ規格の違いで全く同じではなかったが電気特性はほぼ同じ、含浸は蜜蝋で行い、基本事項としてピックアップと弦の距離はノギスで測り条件を等しくし、もう出来ることがなかった。
当時、音の比較にはこちらは量産品のボディに装着し、オリジナルと比較していたのだけれど、あるとき状態を同じくするために2台同時に弦を張り替えてアンプを通さずに生音で「ジャ〜ン」とやってみると、なんかだいぶ音色が違うじゃん。
その違いを頭に入れてアンプを通すと、オイオイ、まんま出てきてる。
試しにピックアップ付きのパネルごと入れ替えてみたら・・・
フェンダーの音 醸し出してるわ、ウチのやつも。
そこで次にしたのは、できるだけオリジナルに近いボディを量産品の中から探すこと。
これは、原始的なんだけど、塗装・バフ磨きまで終わってぶる下がっている50〜100本くらいのボディを拳でノックし、鳴りの近いものを探すという作業。ところが、なかなか同質の音に巡り合わない。結局それだけの中から「これならイケる」ってのは1本だけだった。それを現場で組んでもらい比較用として使うことに。
もちろん音比較では指板の材質やパネルの厚みも裸音で効いてきていたので揃えることにした。
結局、この先は木の材質をつめる必要があるということね。
木材が楽器になるまでは乾燥のために寝かしておく時間がとても長いため、一朝一夕には変えられない。
その先量産品がどうなったか私は知らない。
そこで一段落。(そうそう、林さんは木に聴診器当ててたなぁ。)

追記:今は線材もアメリカから輸入しているんだね。これなら完成度の高いレプリカができる。でも、個人ならオリジナルピックアップ買った方が早いわ。
 

2011年7月10日日曜日

クイーン

1975年 横浜体育館
最高の位置のチケットを入手。
ところが、その席順が見当たらない。
係員に訊ねたところ、ミキサー卓が占拠している場所なので代わりに前列のど真ん中を用意してくれたとのこと。
悪い予感・・・
前から5列目あたりの、相撲で言うと「砂かぶり」。
確かに眼の前にステージ。
周りは高校生〜ハタチそこそこの娘ばっか。
男子がいないっ!
演奏が始まる...
オエッいきなり総立ち!
演奏を聴くどころじゃない!!
結局最後までコレ。
女子の尻のアップだけしか印象にない。
何しに来たんだ?
金捨てた。
 

2011年7月9日土曜日

ハムバッカーの鉄芯材料

ハムバッキング・ピックアップの普及品はふつ〜のネジ(炭素鋼)を使って作っていました。
Gibsonのコピーを作るに当たり、もうウロ覚えなんだけど金属材料の成分分析をしてもらったとき、炭素分の少ない、純鉄を使っているらしいということで、早速手配して加工した。ただこれだけでは純鉄を使った意味が無いのでアニール処理というバラバラな磁気の方向を一定方向に揃える熱・磁気加工を施し、比透磁率を上げることを行った。
これによって、若干 周波数の高い成分が出てきて、いわゆるヌケの良い音になったみたい。
ただ、ここまで手を掛けた費用対効果を考えると、正直 なんだかなぁって印象だったような・・・
(今となっては、正確な記憶がない)
それとは別に、明らかな違いがあったのは、試験的にパーマロイでやってみた場合。
これは、比透磁率が純鉄よりも桁違いに高いので弾いたとき一発でOh!ってカンジ。
クリアで歪が少ない澄んだ音色。
ただし、ディストーション全盛の当時は、この音は時代が求めた音ではなかったんで、試作だけで終わったように思う。
 
 

マハビシュヌ・オーケストラ

1973年 渋谷公会堂
ジョン・マクラフリン &
        マハヴィシュヌ・オーケストラ
怒涛のアンサンブル。複雑なリズムセクション。
初めてジョン・マクラフリン(当時はマクローリン表記)に触れたのはマイルス・デイビスの「ビッチェズ・ブリュー」「ジャック・ジョンソン」だった。今回、自らのバンドを組み初来日。
私が気に入ったのはロックバンド(フロッグ)からヴァイオリンのジェリー・グッドマンを呼んできたこと。これによって今までにないユニークなアンサンブルが生み出された。
そこへもってきて、ビリー・コブハムのカミナリ様のような常時フォルテシモ・ドラミングが加わりエライことに。
変拍子が多用されるにも関わらず、ロックスピリットを感じるド迫力生演奏。
ライブの帰り、興奮状態で渋谷駅までの坂を下ってきた。
当時のジョン・マクラフリンのトレードマークはGibson SGのダブルネックタイプEDS-1275。
日本人の体格ぢゃカッコつかないね。
 
 

2011年7月8日金曜日

ピックアップカバー3

あるとき、大音量で弾くとGibsonに比べウチのハムバッキングピックアップはハウリングが起きやすいってことが問題になった。
確認してみると、原因はカバーの共振だということが分かったんだけど、さらに観察するとピックアップ本体とカバーの間の隙間が挙動を助長しているということが判明。
さてさて、どうしたモンか・・・
当初行った処置は、カバーを被せるとき間隙にシリコングリスを充填するという処置。
確かに効果テキメン、即効問題解決ということにはなったが、じゃあ何でGibsonはハウリング起こしにくいんだ?
そこでオリジナルのカバーのハンダを外してみると「パカーン」という音と共に本体から勢い良く外れる。
これは、カバーに圧力をかけてハンダ付けしていたから外れた瞬間にこんなことが起こったってこと。
しかも、カバーの表面を観察すると表面がほんの少し凹んでいる。
ここに圧力を掛けると、カバーとボビン表面が密着し応力がかかる。この状態で本体にハンダ付けすることによりハウリングが起こりにくくなっていた。
そこで、ウチのピックアップカバーのプレスの最終工程に1工程増やし軽い凹面を作ることにした。
当時のGibsonピックアップは楽器店で遠目に見てもそれが分かったけど、今のGibsinギターに付いてるピックアップはそうなっていない。はたして別のアイデアで解決しているのか? どうなんでしょう。
 
 

2011年7月6日水曜日

パスポート

1974年 中野サンプラザホール?
クラウス・ドルディンガー率いる当時としては珍しい、ドイツのフュージョングループ。
あんまし期待しないで行ったんだけど、これがなかなかgood sound。
とにかく音響バランスが最高。
PAスピーカーに特徴があり、BOSEのスピーカー2個入の普通に売っていそうな外観。
PA用としてはかなり小ぶり。
これが、ステージの両サイドに大量にに大きな壁となって積み上げられている。
個々のSPユニットが余裕を持って出力しているので、出てくる音に無理がない。
これだけバランスの良いPAはなかなか無い。
 

2011年7月5日火曜日

ピックアップカバー 2

ある時期から、ピックアップカバーを外して使う連中が増えてきたんだけど、あれには「外来ノイズを軽減する」という立派なお努めがあった。
そのころから、ハムバッキング・ピックアップではディマジオの影響を受け、中高級品でもアルニコと共にフェライトマグネットも使うようになってきた。
磁石自体のエネルギー積はアルニコの方が大きいのだけれど、フェライト(異方性・ウエットタイプ)磁石は任意にカットできるので、ピックアップの厚みさえ許せばアルニコより強磁界の、大きい出力のピックアップが組めた。
で、当然アンプに通した音も歪み易くなる。
しかし、歪まないセッティングで音出ししたら、なんか音が荒れてるんだよね。
(奇数次高調波が多いって感覚)
これ、なんとかしたいなあ・・・
で、思いついたのが、ピックアップカバーの下処理メッキで銅を使い、そのメッキ厚で音質をコントロールしようという試み。
エレキギターのピックアップカバーでは本来、銅(合金としてではなく)は高音域の周波数特性を著しく悪化させるので使うのはタブーなのだけれど、極薄い皮膜を付けることにより「暴れた音」を調整できないか?
メッキ時間(=メッキ厚)を調整したものを何種類も作り、音出し比較してみた。
結果、音のザラつき感が減少し聴きやすくなった。そこそこコントロールできたんだわ。
しばらく、これで出荷していた時期があった。
 

2011年7月2日土曜日

Pink Floyd

東京都体育館で演った。(1972年)
それまでにないサラウンド感覚、上下の立体感。PAが完全にコンサートの演出に取り込まれている。
浮遊感すら感じる瞬間がある。きっとドラッグやってた連中がシラフでも表現できないか?と始めたことなんだろう。
面白かった。
ただ、タバコ(ひょっとして国内では違法な喫煙物?)を吸いながら演ってたのはウンザリだった。
こっちから見ると、もっと真剣にやれ!ってカンジ。バックでテープ回しながらの音出しなんで、おまえらずいぶんラクしてやんなあ・・・って印象だった。これって誤解?
(あの頃シーケンサはまだなかったと思う)

2011年7月1日金曜日

ピックアップカバー 1

私が、業界に入った頃お世話になった会社は輸出向け普及品のピックアップを製造していた。
そのころ、時代はエレキギター自体に高品質を求めるようになってきていた。
当然、ピックアップにも要求されるようになり、できなければ注文自体減ってゆく。
そんな時期に私は首を突っ込んだ。で、納品先からはオタクのは「音が悪い」と言われて始まったピックアップ人生。
はじめは、何が良くて、何が悪いのかが分からない。
そうこうしているうちに、本物のレスポールカスタムをしばらく貸してもらえる機会が訪れた。
これを、輸出用レスポールもどき+ウチのピックアップ装着ギターと比べたら・・・アナタ全然違うじゃん。
お〜っこれが、本物の音、弾き心地!
理解!!
そこから、本格的にピックアップを改良することになったのでした。
で、まずNGだったのが高音のヌケ。金属カバーを外したときと被せた場合の音質差が大きく全く話にならない。
そこで、ギブソン・ピックアップを入手。
当時、社長のツテで金属材料を分析してくれる会社に成分分析を依頼。
それまで、カバーの材料は真鍮を使っていた。
そして分析結果から分かったのは本家は【洋白(ニッケル、銅、亜鉛合金)】を使ってるということ。
その成分表を元に、日本で相当する材料を入手。
これでサンプルを作ってもらい音出ししてみると、みごとにヌケが良くなってるじゃん。やったねっ。
 

2011年6月30日木曜日

生ザッパを観た!


浅草国際、大トリの前が内田裕也。
そしてラスト、フランク・ザッパ&マザーズ。
午後2時ころから日本のバンドが入れ替り立ち代り。
8時過ぎに真打ち登場。
わたしゃ昼間っからウイスキーをチビチビやって見てたんで、最後はべろべろ。(ったく、もったいねぇ)
遠くでなんか芝居掛かったこと演ってるわぁ・・・

でも同じ空気を吸ってるだけでしあわせだった。
 
☆ギターはGibson SGの印象が強い。
 

ネット情報:「ROCK SHOW」(浅草国際劇場)1976年
出演:フランク・ザッパ&マザーズ、四人囃子、コスモス・ファクトリー、井上尭之バンド、内田裕也&1815R&Rバンド  ・・・記憶にない。
内田裕也... 彼が招聘したとのこと、ただのイケナイ爺さんぢゃなかったんだわ。ウン。

2011年6月29日水曜日

それは、コピーから始まった。

ガンダムもどきや、何でもありのテーマパーク、果てはiPadならぬcPadを作り「なんか、いけない?」と開き直る隣国を私は責められない・・・

だって、いつか来た道だったもの・・・
今から30〜40年前、思い出してみりゃ、ヒドイことしてたね、ウチらも。
でも、あのころはみんな一緒に渡った赤信号。
オリジナルに対する敬意は心の片隅に追いやって作ってた。

絵でも音楽でも始めに習作あり。

ただ、その頃のエレキギター業界は、せ〜のでコピー物を売っていたのが アートとはちがうんだけど。
本家のみなさん、あんときゃゴメン。m(_ _)m

フェンダー、ギブソン。
そう、当時はどこまでオリジナルに近づけられるかを競っていた。
安物しか輸出できないコストの壁から「偽レスポールのボディ・アーチ部の中は空洞」なんてのもあった。
巧まずしてのセミ・ソリッドボディ!
(今なら、「味付け」として開き直れる?かも)
そして当時は、「今度のレスポールモデルは削り出し」って。
それがふつ〜じゃん! 今はネ。

しかし、みんな 【良いものを作りたいっ】て思いで、真剣に作ってた。
  
 

2011年4月11日月曜日

Profile

1970年代をエレクトリック・ギター ピックアップの製作に関わる。
20代初期プータローを約一年。
その間、信州大学の学生とバンドを組みスキー場のバイトなどして音で遊ぶ。
次第に自宅の居心地が悪くなってきたので、職安(ハローワーク)にゆくと、たまたま有限会社 ミツワという会社の募集に目が止まる。
そこには「エレキギター・マイクの製造」とある。
以前から実用化したいエフェクターがあったので、その回路図を持参し面接に赴く。「そのうち製品化する機会もあるだろう」とのことで、即入社決定。(いい時代だった)

70年代前期はマツモク工業、荒井貿易にひとかたならぬお世話になり、ピックアップのイロハを身につけるチャンスを頂く。
後期は河合楽器製作所にオリジナル・ピックアップを使って頂く機会を得る。
謝辞:有限会社ミツワ 疋田様、マツモク工業 百瀬様、荒井貿易株式会社 鈴木様、株式会社河合楽器製作所 稲見様 そして盟友 後藤さん、その節はありがとうございました。