🎼 音の聞き分けを磨くには ライブに顔を出し ステージの機材を確認し、
トータルで「どんな音を出しているか」の肌感覚が大事だと思っていた.¸¸♬
東京都体育館で演った。(1972年)
それまでにないサラウンド感覚、上下の立体感?。PAが完全にコンサートの演出に取り込まれている。
浮遊感すら感じる瞬間がある。きっとドラッグやってた連中がシラフでも表現できないか?と始めたことなんだろう。
面白かった。
ただ、タバコ(ひょっとして国内では違法な喫煙物?)を吸いながら演ってたのはウンザリだった。
こっちから見ると、もっと真剣にやれ!ってカンジ。バックでテープ回しながらの音出しなんで、おまえらずいぶんラクしてやんなあ・・・って印象だった。これって誤解?
(あの頃シーケンサはまだなかったと思う)
1973年 渋谷公会堂
ジョン・マクラフリン & マハヴィシュヌ・オーケストラ
怒涛のアンサンブル。複雑なリズムセクション。
初めてジョン・マクラフリン(当時はマクローリン表記)に触れたのはマイルス・デイビスの「ビッチェズ・ブリュー」「ジャック・ジョンソン」だった。
今回、自らのバンドを組み初来日。
私が気に入ったのはロックバンド(フロッグ)からヴァイオリンのジェリー・グッドマンを呼んできたこと。これによって今までにないユニークなアンサンブルが生み出された。
そこへもってきて、ビリー・コブハムのカミナリ様のような常時フォルテシモ・ドラミングが加わりエライことに。
変拍子が多用されるにも関わらず、ロックスピリットを感じるド迫力生演奏。
ライブの帰り、興奮状態で渋谷駅までの坂を下ってきた。
当時のジョン・マクラフリンのトレードマークはGibson SGのダブルネックタイプEDS-1275。
日本人の体格ぢゃカッコつかないね。
1974年 中野サンプラザホール?
クラウス・ドルディンガー率いる当時としては珍しい、ドイツのフュージョングループ。
あんまし期待しないで行ったんだけど、これがなかなかgood sound。
とにかく音響バランスが最高。
PAスピーカーに特徴があり、BOSEのスピーカー2個入の普通に売っていそうな外観。
PA用としてはかなり小ぶり。
これが、ステージの両サイドに大量にに大きな壁となって積み上げられている。
個々のSPユニットが余裕を持って出力しているので、出てくる音に無理がない。
これだけバランスの良いPAはなかなか無い。その後40年でPA環境はとてつもない進化をしたんだね、単に壁で出す音ではなくなっていた。
1975年 横浜体育館
最高の位置のチケットを友人が入手してくれた 👍
ところが、その席が見当たらない。
係員に訊ねたところ、ミキサー卓が占拠している場所なので代わりに前列のど真ん中を用意してくれたとのこと。
悪い予感・・・
前から5列目あたりの、相撲で言うと「砂かぶり」。
確かに眼の前にステージ。
周りは高校生〜ハタチそこそこの娘ばっか。
男子がいないっ!
演奏が始まる...
オエッいきなり総立ち!
演奏を聴くどころじゃない!! . . . 結局最後までコレ。 会場で浮いていた我々。
ここでは23歳のオヂさん。
もう意地になってで座ってたんで 女子の尻のアップだけしか印象にない。
何しに来たんだ?
金捨てたっ。😡
当時日本じゃぁ、アイドルグループ扱いだった。
1976 浅草国際、大トリの前が内田裕也。
そしてラスト、フランク・ザッパ&マザーズ。
午後2時ころから日本のバンドが入れ替り立ち代り。
8時過ぎに真打ち登場。
わたしゃ昼間っからウイスキーをチビチビやって見てたんで、最後はべろべろ。(ったく、もったいねぇ)
彼方ステージでなんか芝居掛かったこと演ってるわぁ・・・
でも同じ空気を吸ってるだけでしあわせだった。
☆ギターはGibson SGの印象が強い。
ネット情報:「ROCK SHOW」
出演:フランク・ザッパ&マザーズ、四人囃子、コスモス・ファクトリー、井上尭之バンド、内田裕也&1815R&Rバンド ・・・記憶にない。
内田裕也... 彼が招聘したとのこと、ただのイケナイ爺さんぢゃなかったんだわ。ウン。
1978年6月 郵便貯金ホール(たぶん)
ウエザーリポートの一員でありながら、まるで彼がリーダーなんじゃない?
☆☆☆ スターだった ☆☆☆
フレットレス ジャズ・ベースからほとばしるメロディーライン、グルーブ感。
ソロではMXRのデジタル・ディレイを多用し、時にマスターベーション・モードに陥ることも。
頭に巻いたバンダナ?が歌舞伎の病鉢巻に見えたりして・・・
躁鬱、ヤク中、アル中。
死にザマが唐突でショッキングだった。
ただただ残念、惜しい、悔しい。
永遠の my Idle。
宇宙人。
1979年3月 日本武道館
日本以外じゃステージでピアノが一回転するなんて話もあったこのツアー。
どんなナマを見せてくれるのか、と ワクワク。
⋮
始まりました、ブラック系のしっかりノリノリ、リズムセクション。
肺活量の多い音圧の高いメリハリの効いたブラス。
きましたフィリップ・ベーリーのファルセット。
でも一番のお気に入りはモーリス・ホワイトのおとっとヴァーダイン・ホワイト。
あのベース・ラインと刻むリズムの小気味よさ。
たまらんっす。
しかし、あれだけ動いてよくリズムがコケナイもんだ。
ってプロなら当たり前?
1979年3月 中野サンプラザ・ホール
『ECM Super Guitar Festival'79』
ジョー・アバークロンビー、エグベルト・ジスモン、そしてパット・メセニーが各々率いる3グループが出演。エグベルト・ジスモンが何びとか知らず観にゆく。
ジョー・アバークロンビーはいわゆるクロスオーバー系のレコードをいくつも出していたんだけど、今回はパット・メセニーが目当て。
ステージに出てくる。
きれいな男子。
演奏が始まる・・・
Oh!レコードクオリティぢゃん!音響バランス良いっ。
すげぇ!!!
1979年4月 日本武道館
さすがMIT出身というべきなのか?
完璧なPAバランス。
"パスポート" 以来のベストな音響。
ま、座った席がPA卓の真後ろってこともあったんだけど。
演奏もさることながら、ミキシング・コンソールが目の前にあるので彼らが何をやっているのか一目瞭然!といいたいけど、はっきり覚えていない。
ひょっとしたらオート・フェーダー使ってたかも・・・
なんつうたってMITだからネ。
でも卓を真近に見られてイイ体験をさせてもらいました。
演奏自体はかなりレコードに近い音出しで+ライブならではの力強いアンサンブルってカンジだった。
1981年9月 中野サンプラザ
私の場合 純粋に演奏を聴くのと ステージ上の機材の確認を楽しみにライブ会場に足を運んでいた。
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しかし、今回はちょっと違っていた。
演奏が始まると 一階の連中はいきなり一曲目から立ち上がり 曲に合わせて踊り始めた。
このとき二階席斜めから眺めていた私は「ああもう、ついていけないな」
時代は変わりつつある・・・
そう感じてライブ通いに一段落つけた29歳なのでした。
徒然…後記。
中学生のころ:ベンチャーズ、スパイダーズをライブでみたのが始まり。
スパイーダーズの かまやつさんが持っていたテレキャスターに憧れた。
逆トラウマ?となり、大人になってから2台持った。笑
高校時代のエピソード:渡辺貞夫カルテットが松本市民会館に来たんだけど 冬で天気が良くなかった。
客の入りが非常に悪く、客席は飛び飛びまだら状態。
ナベサダさんが「みんなステージの近くに集まって」と。
なんかファミリーな感じで演奏が始まった。その時のメンバーに増尾好秋、つのだひろがいた。
つのだひろはロック畑。巷でジャズロックが流行っていたんでナベサダさんがロックテイストを入れるべく つのだをメンバーに入れた。まだ日が浅かったとみえ、探り探りリーダーを伺いながら叩いているのが初々しく印象深かった。
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役得(タダ)で観に行ったのは、クラプトン、ロッド・スチュワート。
せっかく行ったのに記憶が薄いのはドゥービーBrs.(武道館)
サンタナ(武道館)は やたらのけぞってた。(笑
Focusは好きなバンド(中野サンプラザ、機材持ち込み入場し イケナイ隠し録音←ダメじゃん! 入場ゲートでチェックなし)。
リック・ウェイクマン(中野サンプラザ)はビジュアルが楽しかった。
あとはJazz、クラシック。信州の夏は野外フェスも多かったんで度々行っていた。
そうだ初代・高橋竹山さん、日本音楽集団も地元で聴いたっけ。
ジョン・ケージも行ったはずなんだが、友人の話と整合しない。
( 自分の脳内で記憶のすり替えが起こってる ... )
50過ぎて久しぶりに行ったのは横浜・赤レンガ倉庫のリチャード・ボナ。
60代は上原ひろみを地元でみた。最高!
唯一カネ払ってみた日本人ロックバンドはR.C.サクセッション。
会場のキャパは小さく 建物は古いけど とても雰囲気のある 信州大学の「あがたの森 講堂」でやった。
きよしろ〜ちゃんは、大音響でも聴き取れる 滑舌のよい歌声だったのが印象深かった。
処分せず残したレコード:
【ジェフ・ベック、サンタナ、増尾好秋、ラリー・コリエル】
増尾とラリーは若き日のmy idol。
ジェフ・ベックは永遠のmy favorite。
ライブは他にもいろいろ行ったはずなんだけど、忘却の彼方・・・
チック・コリア行ったよねって . . . 、記憶にない。(ヤバッ!)
そうだ スタンリー・クラークがアレンビック弾いていたんだった。
松本から 年に10本以上 東京に観に行った年もあった。
チケットを手配してくれた友には ただただ感謝です。m(_ _)m